レイテ戦跡巡礼


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リモン峠付近などにある日本側の記念碑は殆ど全て「草の根的鎮魂慰霊碑」で、国家として慰霊を示すものは見当たらない。毎年8月になると日本から慰霊団が来て、掃除をしていくらしく、9月に訪れたときは草も伸びておらず、良い状態に保たれていた。付近には墓守をしている人が居るらしく、われわれが訪れると、何処からともなく現地の人達が現れて、彼らは正規の団体であるという、日本の遺族会からのお墨付きのような、証明書のようなものを見せるので、我々もなにがしかの「寄付」をすることになる。「しっかり掃除をして、きれいにしておいて下さい。」などと言って、500-1000ペソ渡すことになるのである。

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一方、米軍の記念碑はというと、戦勝軍らしく、「官製モニュメント」の感が強い。マッカーサー将軍が幕僚と共に上陸している銅像は海の中にあるのかと思っていたが、実はプールの中だった。タクロバン市中にある記念碑も、マ将軍とオスメニア大統領の銅像で、台座には「ターンオーバー・セレモニー」と書いてある。アメリカンフットボールの攻守交替と同じ用語である。米軍上陸後最初に星条旗を立てたという場所も兵隊の人形等を配し、即物的である。

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また、タクロバンの市内には、マリア観音や大仏の様な像が建っている。これは日本人の手で、戦没者の慰霊と平和祈願のために建立されたものだそうだが、現地の人は「マドンナ」と呼んでいた。マドンナとは聖母マリアのことである。

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レイテ戦跡巡礼」への3件のフィードバック

  1. hiroaki satou

    戦争 敗戦 これも日本の罪でしょうが 戦火に散った人の事思うと やりきれなさと 切なさと悲しみが湧きます!

  2. 日本軍は戦時中フィリピンで相当ひどいことをやったといわれているが、現地の人の対日感情はそんなに悪くはない。サマール島の何とかいう町で、日本軍による住民大虐殺があった事を、現地の小学校で教えているらしく、小学生でも知っている常識らしいが、我々には全く知らされていない。にも関わらず、現地人にはそんなに日本を恨んでいる様子はない。巡礼案内人などは、日本は戦争に勝ったも同然だ、と言っている。特に、ODAでレイテ・サマール間に、「東南アジアで一番長い」と彼らが自慢する、サン・ファニーコ橋を架けてくれた事を喜んでいるようだ。

  3. 追記:レイテの案内人の運転手は、フィリピンはアメリカと一緒に戦争に勝ったはずなのに、この体たらくで、こんなことなら、日本と一緒に戦争に負けていた方が、良かったのではないかと、言ってました。お世辞半分でしょうがね。

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