カテゴリー別アーカイブ: 未分類

安倍晋三さん、潰瘍性大腸炎の具合はいかが?辞めろコールで悪化しましたか?「加計症候群」と命名しますか?


Tokyo 2017 July.

richardkoshimizu official website

「安倍辞めろ」大コールは、トップニュースになった。

このニュースは、国民の都議選への関心を呼び起こす。期日前投票は、前回比57%の増加。全体の投票率アップを想起させる。投票率が上がれば、自民はさらに苦戦するはず。

この局面で、自民が不正選挙を行使すれば….さすがのB層国民も「不正選挙」に目覚める。不正をやってくれた方が、面白い結果となるかも。

都民ファーストが自民の別動隊という見方もあるが、とにかく、今は自民が惨敗して安倍が責任を追及される場面が見てみたい。自民内部から安倍下ろしが始まる?


リッキー

<都議選 期日前投票は前回比57%増>
[NHK NEWS WEB:7月1日 18時48]
東京都選挙管理委員会によりますと、今回の東京都議会議員選挙で投票日2日前の30日までに期日前投票を済ませた人は98万9095人で、前回(4年前)の同じ時期と比べて35万人余り、率にして57%増えています。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170701/k10011037591000.html?utm_int=news-politics_contents_list-items_001

<選挙前にいい度胸だ 国民愚弄政権の詭弁とドーカツ>
[日刊ゲンダイDIGITAL:2017年7月1日]
~都議会の定数は127。自民党の現有議席は57である。

大手メディアが先週の24、25日、「期日前投票」を終えた有権者に実施した出口調査によると、都民ファースト48、自民39という結果だったという。自民党の調査でも、都民ファースト45、自民41だったそうだ。~
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/208611

<小池知事と都民ファーストでいいのか? 仕切っているのは国民主権否定を公言する極右、安倍政権に全面協力の密約も>
[LITERA:2017.07.01]
http://lite-ra.com/2017/07/post-3286.html
・野田数:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%95%B0

<「辞めろ」「帰れ」コールの嵐 首相、都議選初街頭演説>
[朝日新聞デジタル:2017年7月1日18時14分]
http://www.asahi.com/articles/ASK715Q1DK71UTFK00C.html
<反安倍政権グループ「やめろ」絶叫 首相「こんな人たちに負けるわけにいかない!」 籠池氏の姿も>
[Yahoo!ニュース 産経新聞:7/1(土) 22:54配信]
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-00000544-san-pol

<秋葉原騒然 首相の演説会場に籠池氏現れる>
[Yahoo!ニュース:フジテレビ系(FNN) 7/1(土) 18:08配信]
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20170701-00000985-fnn-pol
<籠池氏「本当のことを言え~」首相演説の場訪れる>
[Yahoo!ニュース 日刊スポーツ:7/1(土) 22:33配信]
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170701-01848751-nksports-soci

<都議選前日ようやく表に姿を現した安倍総理を待っていたのは「やめろ!」「帰れ!」の嵐!怒れる聴衆の中には森友・籠池氏の姿も!安倍総理は市民を指差し「こんな人たちに負けない」逆上! 17.7.1 >

[Movie Iwj:2017/07/01]

<秋葉原から自民党の都議選応援演説会です。>
[東京新聞編集局:2017年7月1日]
https://www.pscp.tv/w/1nAKEBrDgAAGL

元の投稿を表示

広告

現存する世界最古の「企業」は日本にありました。創業は、飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年)。


世界最古の企業・金剛組。

richardkoshimizu official website

Kongogumi_(Head_Office).JPG

閑話休題。

現存する世界最古の「企業」は日本にありました。

大阪の天王寺区に本社のある(株)金剛組。社寺建築業。資本金3億円。年商57億円。
http://www.kongogumi.co.jp/enkaku.html

創業は、飛鳥時代第30代敏達天皇6年(西暦578年)。社歴、ざっと、1450年ほどです。

聖徳太子が百済から招いた3人の工匠の一人、初代の金剛重光が創業者。日本初の官寺である四天王寺の建設に従事。以後、代々、四天王寺の7度の再建、修復に携わってきた。信長が焼失させたときも大坂冬の陣で燃えた時も金剛組が再建している。江戸城田安門、大坂城一番櫓も手掛けた。現在は宮大工120人を擁する社寺建築の老舗。

1450年間、企業を維持するのは並大抵のことではない。1932年(昭和7年)職人気質の第37代は、業績を悪化させて、これを祖先に詫びて先祖代々の墓前で自殺。未亡人が、歴代初の第38代女棟梁となって業績回復に励み難をのがれた。1934年、室戸台風のため四天王寺五重塔が倒壊して、金剛組に仕事が回ってきた。2013年に39代目金剛利隆が後継者不在のまま89歳で死去し、金剛家による企業支配が途切れた模様。現在は、東証一部上場企業、高松コンストラクショングループの孫会社。

本当に価値のある「世界遺産」は、金剛組である。他はいらないから、金剛組に「世界遺産」認定を!日本の誇りである。

元の投稿を表示

サマール紀行(3):東サマール州リョレンテ


?????????????????????????????
 東サマール州のリョレンテ(村のようにしか見えないが「市」らしい)は、州都ボロンガンより30kmほど南にある、海岸沿いの村落集合体である。ここより東側は、ずーっと太平洋で、遠くにグアムやサイパン、テニヤン等の島々があり、かっては日本の連合艦隊が遊弋し、現在では米国太平洋艦隊の原子力空母が常時パトロールしている戦略的に重要な海域で、またごく最近では、中国艦隊もロシアから購入した中古空母と、自国製の新造空母で、アメリカの縄張りに割り込んで来ている場所なのだが、地元の人間にとっては、そんなことは全く関係のない事のようで、問題にしている者はいない。
CIMG4783
 海岸沿いは全て珊瑚礁で覆われている。青い珊瑚礁などと言えば聞こえは良いが、ゴツゴツした岩の塊(珊瑚の死骸)が堆積した海岸は、素足では歩けない。水が引くと、そこここの水溜りに魚が落ちているので、ゴム草履を履き、バケツを片手に魚を探し晩御飯のオカズにしようと、付近の住民が歩き回っている。海岸沿いはサンゴが堆積し、5-10メートルほどの小山を成し、ココナツ椰子の樹が生い茂って、道路から海は見えない。海が見える所は珊瑚がなく、そういう所は大抵川の出口で、バンカ船が集まって港になっている。
 Mr. Kalsada(道路 )のエヴェルドーネ氏(Mr. Everdone)が完成させた、東サマール唯一の街道の西側には、所々に耕作地らしいものが見えるが、訪問した4―6月には、ほとんど耕作はされず、ただ、草原が広がっているだけで、そのほかの土地は椰子の木に覆われ、そこからさらに西側は、山に至るまでは平地か丘陵地帯が続いているはずだが、どうなっているのか、車上からは、皆目、検討が付かなかった。かって、大戦中に迂回して敵を攻撃しようとして、山岳地帯に入り込んだ日本軍も米軍も、みな道に迷い難渋したというから、結局、原始の森が今なお、広がっているのだろうか。
?????????????????????????????

サマール紀行(1):レイテからサマールへ


サマール紀行(1):レイテからサマールへ
551689_402043596528018_1936972244_n
昨年の台風で甚大な被害を受けたフィリピンのレイテ島とサマール島。
レイテより更に貧しいと言われるサマールには、東・西および北サマールの3州があるが、そのいずれにも、定期便の通っている空港はなく、最寄りの空港はレイテ島のタクロバンである。
 東サマールの州都ボロンガンからは、島の東海岸沿いを下って、南端を回り、サン・ファニーコ橋を渡って、乗用車で4時間は掛る。日本の援助でマルコス時代に出来たという、「東南アジアで一番長い」と現地のヒトが自慢する、このサン・ファニコ橋は観光名所とはなっているものの、レイテ側から見ると、交通量も少なく、無用の長物のようにも見えたが、サマール側から見ると、どうしてどうして、この橋は州都ボロンガンから首都マニラへと直結する道路であるばかりではなく、サマール島全域から、救急車が患者をタクロバンの病院へ、救急搬送するための最重要な生活道路なのである。
CIMG0179

スーパー台風は人工的に作られた?


スーパー台風は人工的に作られた?.

The Longest Bridge and the Highest Bridge


CIMG0178
レイテ島新名所・長い橋と高い橋
前出の「マルコス神社」の次に有名なのは、レイテ島とサマール島をつなぐ、東南アジアで最も長い橋「サン・ファニーコ・ブリッジ」である。日本の援助と技術によりマルコス時代に建てられたものだという。マルコスさんが生きていたら、今ごろはフィリピンの全島が橋とトンネルで結ばれていただろう等と昔を懐かしむレイテやビコール出身の、親マルコス派がマニラにもいるが、写真にも見られるような閑散とした交通状況は、レイテ島側から見る限り、この橋の経済効果を疑わせる。橋の対岸はサマール島の田舎で、そこにタクロバンから出かけていくような用事は少ないらしい。また西サマール州の中心地カルバヨグや、州都カトバロンガンあたりへ行くには、フェリーに乗っていったほうが楽だと言う。

スライドショーには JavaScript が必要です。


しかし、橋を渡ったサマール島側から見ると、この橋の重要性は極度に高くなる。レイテより更に貧乏で、虐げられた人民に支持された新人民軍(NPA)の発祥の地でもあるサマールには、救急患者を扱える病院がない。盲腸炎や骨折でも患者をタクロバンまで車で運ばなければならない。また、サマール島には、定期便が発着する空港がない。東サマール州の州都ボロンガンの最寄の空港はレイテ島のタクロバンだという。空路マニラに向かうには、やはりこの橋を渡って、タクロバンの空港から出発しなければならないのだ。この橋を通って、車でで4-5時間もかかるらしい。
従って、この日本の援助で完成したサン・ファニーコ橋は、サマール島民にとっては、命綱のようなものである。案内した運転手は、「フィリピンだけでなく、東南アジアで一番長い橋」だと自慢げに語っていた。

次の名所に案内するといって連れて行かれたのは、「フィリピンで一番高い橋」・アガス・アガス・ブリッジだという。30分で着くといわれたが、曲がりくねった山道をぐるぐると走り続け、1時間以上は掛かって、やっと到着した。橋のたもとにレストランのようなものが有ったので、展望できるのかと思ったら、橋の管理事務所だと言う。お役所天国の日本でも、橋の直ぐ傍に管理事務所を置いているところは無いだろう。国土庁の工事事務所はどこかにあるだろうが。このフィリピンでも最高地に架かっているこの橋の交通量は、しばらく眺めていたが、殆ど0である。たまに、下からやってくる車は、この橋を見るためだけに来ているようである。なるほど橋の中央部から下を見ると、確かに高い橋桁である。セメントをたくさん使うために作ったのではないかと疑われる。これも日本の援助で、アロヨ大統領の時に出来たのだと、運転手君はまた自慢げに語っていた。(次に、ウェブより集めAgas-Agas bridgeの写真を上げておく)
800px-Agas-Agas_Bridge (1)

215993_451926554844637_859763609_n

下の写真は、台風30号(比名Yolanda, 英名Haiyan)襲来時のサンファニーコ橋。タクロバン市民はこの橋を渡って、サマール島側に避難したようだ。日本製の橋は、中古になってもこのぐらいの台風では、吹き飛ばされない事が証明された。多分メンテナンスはやってないだろうから、タガは大分緩んでいるはずだが?
1460304_253193224834366_557420371_n

ビキニ・コンテスト(4)


ビキニ・コンテスト(4).

レイテ島の新名所・マルコス神社


CIMG0107
レイテ島には、これまでに記した太平洋戦争の記念碑以外にも、さまざまな記念物がある。先ず案内人の運転手君に案内されたのは、タクロバン市内にある「サント・ニーニョ・シュライン」と言うものだ。「シュライン」は「神社」と訳しているが、キリスト教のフィリピンで、「神社」はないだろうから、教会かと尋ねてみたら違うと言う。内部を見てみると、日本流に言うなら「マルコス記念館」とも言うべきもので、拝観料を「ドーネイション」として徴収している。ただ1階に100人程度は入れる礼拝所みたいなものがあり、「オールター(聖壇)」と呼んでいたので、やはり「神社」・「聖堂」の一種であろうか?日本の「乃木神社」や「東郷神社」に類する「マルコス神社」なのかもしれない。内部はマルコス夫妻並びに子息の寝室、浴室、大食堂(30-40人)が二つ、その他ゲスト・ルームなど、各部屋に世界各地の高貴の人々から送られたさまざまな宝物が飾られている。

スライドショーには JavaScript が必要です。

レイテ紀行・レイテに戦跡を訪ねて


CIMG0381
レイテはかっての大戦において、日米決戦の舞台となった島である。太平洋戦争も後半戦に入ると戦局は反転し、ミッドウエー海戦以降攻守処を変えることになった。「アイ・シャル・リターン」” と退却時に大見得を切ったマッカーサー大将(当時)のフィリピン奪還の意気込みは強く、ハワイで今後の戦略についてトップ会談を開いたのだが、ハルゼー提督、ミニッツ提督、およびルーズベルト大統領も彼の意見に賛同せざるを得なかったという。日本軍も「比島」または「台湾」が決戦場となると予想し、「捷一号(比島)」および「捷二号(台湾)」の二つの作戦を練り上げていたという。(大岡昇平・「レイテ戦記」)
CIMG0104
昭和19年10月20日、マッカーサーを総大将とする米軍がレイテ湾に侵入し、レイテ島東岸タクロバン近郊に上陸するのであるが、当時この地を守っていた第16師団は長期持久戦の構えで、縦深陣地を構築していたため、米軍は比較的容易に上陸し、進攻して北岸(カリガラ湾)まで達してしまう。この時、やっと捷一号“決戦”命令が発令され、第一師団約1万名の将兵がタクロバンの反対側、レイテ島西岸のオルモックに上陸し、北進してカリガラ湾を望むリモン峠で米軍と遭遇し激戦が展開され、先遣の第16師団、決戦第一陣の第1師団、後続の第26師団も殆ど全滅したという。


ここに示すいくつかの「記念碑」の写真は、これらの激戦地のものである。

レイテ紀行・美しいレイテ湾


CIMG0074
~海征かば水浸く屍、山征かば草生す屍~ フィリピンのレイテ島はフィリピンで7番目か8番目に大きな島のようだが、そこは太平洋戦争中、米軍が再上陸し日本軍と激戦を展開した地点である。またマルコス元大統領の夫人イメルダさんの故郷でもある。しかし,このレイテ島と東隣のサマール島を含む東ビサヤ地区は、フィリピンの「最貧地域」でもあるという。従って、物価は安いと思われ、長期滞在(ロングスティ)には、適しているのではないかと思われるが、戦争の後遺症もあるだろうから、現地人の対日感情はどんなものか、先ずは訪問してみることにした。
CIMG0475
上の写真は、レイテパーク・リゾート・ホテルの客室からの眺めである。現前に広がる海はレイテ湾(Leyte Gulf)の更に奥まった部分、サン・ペドロ湾(San Pedro Bay)である。向う側に見える陸地はサマール島だ。レイテ島とサマール島の間は、サン・ファニーコ(San Juanico)水路と呼ばれる、狭い海峡となっており、その上にはサン・ファニーコ橋と呼ばれる橋が架っていて、現地の人が「東南アジアで最も長い橋」と自慢している。太平洋戦争で、フィリピン奪還を目指したマッカーサー元帥を総司令官とした米軍が反攻上陸した地点は、写真の向かって右方向(南側)にある。かって上空を日本軍の零戦・神風特攻機や米軍のグラマン機が飛び交ったとは思えない、平和な海である。朝焼けや、夕暮れのレイテ湾は美しい。ここにその写真をいくつか示す。

スライドショーには JavaScript が必要です。