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カオハガン紀行(5)カオハガン島の生活


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海上レストランでの大変な昼食を終え、カオハガン島へ向かう事になった。遠くにポツリと孤島が見えるようになった。カオハガンのようだ。

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近づくと茅葺屋根の東屋のようなものが見える。続いて茅葺の大屋根の家が見えてきた。これが崎山さんが苦労して建てた、家の中に家の3分の1の風の通り道があるという台風に強い家のようだ。良く見ると風力発電機のようなものも見える。

 

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やがて砂浜の近くにきて船は停止した。これから先は海の中を歩く事になった。当然、想定の範囲内だったので、サンダルのまま海の中をジャブジャブと歩いて砂浜に上陸した。ここが「ポントグ」と呼ばれる砂嘴のようである。砂浜に屋台を並べて、バーベキューをやっている。なるほど、これではさっきのボッタクリ・レストランのほうが近代的だ(地獄に近い?)。砂浜はきれいでボラカイ並みである。ちなみにマクタン島のリゾートの浜は珊瑚礁で、素足では歩けない。そのため、ホテル内に、人工のラグーンと砂浜が作ってあるが、その砂はみなここから採取して行ったそうである。(崎山著「何も無くて豊かな島」新潮社、1995、41頁)。

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カオハガン紀行(2)・涼しげな海上レストラン


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オランゴ島の椰子の林を右手に見て、茫洋と霞む水平線へ向かって延々と進む。1時間も経った頃、まだ昼には早かったが、「干潮なので島に近づき難いし、向こうへ行っても碌なレストランは無いから」とかの理由で、途中の海上レストランで、早い昼飯を摂ることになった。ドイツ人女性ジャーナリスト、ミルダ・ドリューケの書いた「海の漂泊民族 バジャウ」(畔上 司訳、草思社、2003)に出てくる、陸に上がったスールー海の漂泊民バジャウ人の海上小屋のように、浅い海に杭を打ち屋根をつけた、涼しそうなレストランだ。いよいよ天国の近くに来たのかと感じる。

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この辺りは、崎山氏によると、魚の宝庫だそうだ。日本の魚屋で見かける魚は全ているという。もっとも寒流系の魚はいないだろうと思うが、、。ただし外洋で獲れる魚は商品で島民の口には入らないそうだ。干潮時に珊瑚礁の内側の浅瀬には、「ゴンズイ、タコ、ウニ、小さな蟹、貝、ウナギモドキ・・・1時間も歩くと小さなバケツ一杯となる、、」(崎山克彦「何も無くて豊かな島」新潮社、1995)ほど、魚が取れるので、それを食料としているという。マクタン島から毎週通ってくる小学校の女教師は、この状態を貧困の極みと見て、「涙なくしては見られない」と言っているそうだが(前掲書)、崎山氏はこれこそ「天国の生活」と見ているようだ。

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サマール紀行(12) 東サマールの港湾と道路と観光


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東サマール州にある二つの空港は、いずれも狭く規格外でジャンボジェット機には適してはいない事は先述のとおりだが、一方、海の港の方も東サマールには3ヶ所あるものの、どれも近代的港湾とは言い難く、大型船には向いていない。東サマールの海岸は殆どが珊瑚礁で覆われており、引き汐になると浅瀬となってしまうので、大きな船は勿論、バンカ・ボートでも近づけない。州都ボロンガンには、この海に、突堤を築き、小型―中型船が着岸できるようにはなっている。しかし、荷揚げ設備としては、クレーン船を一艘、突堤の先端に停泊させ、それによって積み荷の上げ下げを行っているようだ。
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ヘネラル・マカルトゥールにも港があるが、漁港のようで、どのぐらいのトン数の船が停泊できるのかは不明である。見学したときはバンカが一艘、舫って居ただけだった。
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サマール島東南端のギーワンにも港があり、当地の小学生用の社会地図帳にも、港のマークとレイテ島タクロバンへの航路が記されている。しかし、岸壁のようなもの、あるいはクレーンのような荷揚装置は見当たらず、小型のクルーサーが一艘停泊していただけだった。
?????????????????????????????陸路の状況は、本紀行の、はじめの方にも記したように、サマール島東海岸沿いの道路は一本道で、舗装状態が極めて悪く、時速20-30kmで走るのが関の山だった。しかし、前知事エバルドーネ氏は知事退職後(任期1年、再選不可)、下院議員となって、東サマール州道路改善事業を立ち上げ、公費で改修を進めた結果、一応、片道1車線の舗装道路が出来た。従って、今では時速50-60kmぐらいで走ることが出来るようになり、従来、1時間はかかっていた、ボロンガンーリョレンテ間を、30-40分程度で走ることができる。彼が道路予算を一番多く使ったというので、彼にはミスター・カルサーダ(Mr. Kalsada)といるアダ名がついたという。カルサーダとは、タガログ語で”道路”という意味である。但し、車道のみで歩道は無いが、今のところは、交通量が殆どないので問題はない様である。

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乗用車はほとんど走っていない。超満員のジプニーやオートバイの横にリヤカーを付けたような「トライシッケル」と呼ばれている乗り物、あるいは、マニラで言うところの「ペディキャブ」(輪タク)が時々走っているような状況である。このように、空・海・陸、共にそろって、運輸交通事情は将に、「発展途上」そのものである。

同様に、観光業にも目下のところ、セブのマクタン島に見られるような、大型の観光施設・レジャー産業は皆無である。所々に付近の人々が「浜遊び」に出かけるような、日本流に言うと「海水浴場」が存在するのみである。しかし、それはそれで結構楽しそうである。しかも、きわめて安い料金で利用することができる。

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マニラのナショナル・ブック・ストアで購入した観光アトラスには、ボロンガン付近に「洞窟」や「筏乗り」が有るように記してあるが、当地の人は全く知らない。このように、観光・レジャー産業には、全く見るべきものはない。海と山と川があるので、今後観光資源を開発しようとすれば、可能ではあるが、そのためには、交通基盤の整備が肝要であろう。

サマール紀行(11) 東サマールの飛行場


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ボロンガンには空港は無いと言ったが、実際には、「定期航空便」が無いだけで、飛行場は東サマールに、実は2か所もある。しかし、いずれも軽飛行機程度なら、離着陸が可能であろうと言う程度のものだが、かって飛行機が着陸したことはある。
1か所目はボロンガン空港である。2008年9月1日に、新しく選出された東サマール州知事ベン・P・エヴァルドーネ(Evardone)氏がマニラから飛行機で、関係者を引き連れ着任したという。「歴史的快挙」と新聞記事にもなった”処女航空機乗り入れ”を敢行したが、飛行機が飛んで来たのは、それ一回きりで、期待された定期便は、結局、開設されなかったという。
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飛行場には勿論、滑走路(Runway)もあり、セスナ機あたりなら、簡単に離着陸可能であろうが、航空標識のようなものは何も無い。空港敷地内に見られる唯一の建造物はブロック造りと思われる平屋建ての小家屋で、その前で牛が1頭草を食んでいたところを見ると、管理人として牛が住んでいるのではないかと思われる代物だ。
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さらに、滑走路を横切って、Punta Mariaと呼ばれるバランガイ(集落)へ続く道が延びており、その先にビーチもある。実際に飛行機が飛ぶようなことになれば、地下道を作るか、離着陸時に使用する”遮断機”を作る必要がある。
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下の写真は、飛行場の滑走路を超えたところにある集落、バランガイ・プンタマリアと、その先にあるビーチ(ヒランガガン・ビーチ)である。

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もうひとつは、東サマール南端のギーワン(Guiuan)にある飛行場である、ここは昨年の大台風ヨランダ(英名、ハイヤン)で甚大な被害を受けたところであるが、ボロンガンの牛小屋よりは、大きな建物のほか、人間の管理人もおり、標識灯などもある。かってアロヨ大統領が大統領専用機で着陸したと言う。しかし、同州全体から見ると、場所的に南に偏り過ぎている。
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いづれの飛行場も緊急時には使用できるが、大型旅客機には適していない。定期便が通うようになれば、リョレンテの価値も上昇しようが、そのためには東サマール州の産業や観光の振興が必要である。

サマール紀行(10)お祭のメイン・イベントは豚の丸焼き作り


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これらの行事と並行して、多くの親戚、友人達が、ひっきりなしに訪ねてくる。マニラで就職していた従兄弟なども、休暇を取って帰郷し、親戚を回って歩く。丁度、日本の盆と正月がいっぺんに来たような状態である。特に、多少お金があるような家は、ホウスト・ハウスとなって、朝からご馳走作りに大忙しである。お祭りのご馳走には、何が何でも「豚の丸焼き」(レチョン・ナン・バブイ)を作らないと、大きな家としての面目が立たない。但し、これらの準備には、付近の住民が総出で手伝ってくれる。
千客万来ーお祭りは忙しい。

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  昨日まで、庭の片隅で、土を穿り返して、何かを食べていた豚である。この辺りでは、碌な餌は与えなくても、豚は育つ様だ。朝の8時ごろには、もう半焼けの状態になっていた。豚の堵殺や内臓の取り出し、肛門から口へかけての串刺しは隣近所の男衆がやったらしい。当家の主人はマニラ直行大型バスの運転手で、一旦、家を出ると、往復4日間は帰宅しないという。ちょうどこの日も出勤中で、夕方に「エンペラドール」2本と青マンゴー2袋を持って帰宅した。
エンペラドールはこちらの人が好む酒で、アルコール度は40度。ブランディーだというが、葡萄も無いのにどうやって作ったのか?多少甘めである。恐らく、こちらに幾らでもある、サトウキビの搾り粕などを用いて製造した、ラム酒の一種か、或いは、醸造や蒸留といった手間を一切省き、飲用アルコール、調味料・甘味料・着色剤等を用いて合成したもの、ではないかと思う。タンドゥアイ・ラムより飲みやすい。青マンゴーは薄切りにして食べるとサクサクして、日本の漬物のような感じである。千客万来、エンペラドール、レッド・ホース、トゥバ酒(椰子酒)を大いに飲み干して、翌日、親父殿は二日酔いの頭を抱えながら、家の前のサリサリストアで青マンゴー1個、5ペソで販売していた。
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レチョンの料理法
 串刺しになった豚を焚火の上でゆっくり回す仕事は、小学4年生の息子に任されていた。だんだん良い色になって来るが、合計5-6時間焼かなければならないという。良い色艶を出すためには、最後の段階で、コンデンスミルクを掛けて焼くのが秘訣だと言う。そうすると、皮がきつね色からチョコレート色に変る。中身の豚肉は蒸し焼きになっているので、脂身と一緒になって真白である。剥ぎ取った皮は色良く焼けてはいるが、かなり堅い。しかし、こちらの人は”crispy!”(パリパリだ)とか言いながら、簡単に噛み砕いているが、どうも日頃から顎を鍛えていない日本人には無理なようだ。

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 豚の内臓は細切れにして、血液と一緒に煮込む。多少、生臭いがレバーペーストのような、こってりとコクのある料理(ティヌグアン)が出来上がる。これを少量、ご飯に付けて食べると美味だといっている。
中華料理にも「子豚の丸焼き」がある。上手な料理屋で食べると北京ダックより美味しいが、下手なところで食べるとグニャっとした食感で不味い。特殊な技法があるようだ。香港では結婚式の翌朝、花婿から花嫁の実家に、2頭届ける習慣があると、邱永漢さんが自叙伝のようなものに書いている。横浜の中華街では1週間前からの予約が必要で、1匹10万円(10年以上前のこと)だと言っていた。その技法を持ち込めば、リョレンテの名物になるだろう。もう少し小さい豚だが。

サマール紀行(9)リョレンテ村の娯楽


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 闘鶏 Cock fighting
リョレンテ村の唯一の娯楽は、毎週日曜日に開かれる闘鶏である。午後6時から開始だというのに、正午ごろから集まって来る。立派な闘鶏場で、円形のアリーナを取り囲んでコンクリート製のスタンドがあり、屋根も葺いてある。屋根が日除けになり、風も吹き抜けるので、そこに座りこんで涼んでいるグループ、日ごろ手塩にかけて、育てた愛鶏を見せ合っているグループなど様々である。どうも、どの鶏と対戦したら勝てるだろうかと、取り組みを真剣に考えているようだ。日曜日のこの時間は、教会に行くはずではないのかと、尋ねたらもう済ませて来たという答えであった。闘鶏場の周辺の道路には、ペディキャブ(和名:輪タク)が沢山集まっている。勝ち組を乗せて帰るつもりだろうか。自動車はわれわれが乗って来たレンタカーが1台駐車していただけだった。

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フェスティバルのパレード
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リョレンテのお祭り
 東サマール一帯の町や村では、毎年6月の上旬に恒例の年に一回のお祭り、フィエスタが一斉に始まる。6月になると、パレード、ミス・コンテスト、オカマ・コンテスト、ダンス・コンテスト、ダンスパーティー、アラムナイ(高校の同窓会)などのイベントが毎日続く。ここリョレンテでは、エレメンタリースクール(小学校)とセンカンダリースクール(高校)のパレードが、メイン・イベントとして行われる。因みに、フィリピンの学制では、小学校6年、高校4年を終えると、16歳で大学に入ることが出来る。日本の中学校に相当するものはない。

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上の写真は、小学生、高校生、および昨日の美人コンテスト(Beauty Pageant)で選ばれた「ミス・リョレンテ」のパレード。

サマール紀行(8)リョレンテ村の豊富な食糧


????????????????????????????? 米以外にもイモやバナナも食べているようだが、お客の居るような席では、特に食べたいと言わない限り出てこない。しかし、言えば出てくるという事は、常時用意はしているらしい。小さな島では主食になっているというマイス(引き割りトウモロコシ)は、この辺りでは全く食べないと威張っていた。
イモはタロ芋とかカサバとかいろいろ有るらしいが、茹でるか蒸すかして食する。サツマイモの原種のような感じで、甘みは無く、繊維素が多く、ガシガシして、あまりおいしいとは言えない。バナナは青いうちに採り、皮の付いたまま、茹でるか蒸すかすると芋と同じような食感の食べ物となる。いずれも米の代用品である。芋もバナナもわざわざ畑に植えなくても、山へ行けば幾らでも自生している物を採集できるという。ただし、バナナは庭に常に10本ほども植えており、実を採る時は木ごと切り倒し、代わりに新しい株を1本植えている。お金が無くなって、米が買えなくなった時の非常食のようだ。ついでに、トマト、なす、キュウリなどの野菜も植えたら良いのにと思われるが、野菜畑は殆んど見られない。
????????????????????????????? 写真:新市長の肝いりで朝市が開かれた
畑は、所々に見られるが、レイテ島で見聞した限りでは、低地の平らな部分には大抵コメを植え、傾斜地にはサトウキビ、畑にならないような土地は、椰子の林になっていた。リョレンテが椰子林に囲まれているのは、畑や水田に不適な事を意味しているのかもしれない。

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林の中のコプラの生産所
従って、この地の主要農産物は、椰子の実から取れるコプラの様である。椰子の実を完熟してから採ると、もう実の中にはジュース(ブコ・ジュース)は無く、まっ白い肉で芯まで覆われている。これを削り取り、乾燥させた物がコプラで、これからココナツ・オイルが取れると言う。サマールはコプラが安いので、この辺りで買い叩いて、タクロバンの製油工場へ持って行って売ると儲かるとか言っている。
東サマールの東側は全て海なので、魚は豊富でよく食する。先述のヘネラル・マカルトゥールは漁港で、多くの海産物が水揚げされ、市場で販売されている。多くは小型のマグロかカツオの類の魚である。生牡蠣もあるがA型肝炎の危険があるので生食はやめた方が良い。魚料理は単純なものが多く、蒸したものを酢醤油のようなものに付けて食べるか、輪切りにしてムニエル風にしたものが多い。魚の味を生かしたというよりは、魚そのものの味である。和風の焼き魚・煮魚あるいは中華風・タイ料理風の甘酢あんかけのような料理は出てこない。日本式の魚料理の作り方を教える必要があると思う。

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ヘネラル・マカルツールの魚市場

サマール紀行(7)レチョンは最高の「おもてなし」


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 今日は、遠来の珍客をもてなすため、近くのビーチでパーティーが開かれる事になった。家からテーブルや椅子を運び出し、徒歩5分でビーチに到着することが出来る。海岸にテーブルを持ち出して、即席のパーティー会場を設営。テーブルの真ん中にでんと置いてあるのが、レチョン(豚の丸焼き)だ。お祭りやおもてなしの時には欠かせないメイン・デイッシュである。みんなレチョンに群がって美味しそうに食べるが、この皮がかなり硬い。柔らかな食物に慣れた我々には歯が立たないが、彼らは美味しそうにパリパリとよく食べる。
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CIMG4827写真:レチョン(豚の丸焼き)のブロック(上)、レチョンの頭部(中)、レッド・ホース・ビール(下)
 お酒はレッド・ホースというサンミゲル社製の上面発酵ビールが、このあたりではよく飲まれているが、椰子酒(トゥバ、Tuba)が最もポピュラーだ。ヤシの木に登り、てっぺん付近から出る樹液を集め2-3日放置しておくと、酸っぱい酒が出来る、これがトゥバだ。ガロンボトル(約3.5L)位の量は直ぐに空になる。ただし、1週間も経つと“酢”になってしまうと言う。
最も主要な御馳走は、何といっても、「お米のご飯」である。ご飯を大皿一杯に山盛りにして、右手ですくうようにして口に放り込む、実に素早い。おかずはレチョンの切れっぱしか、鶏の「から揚げ」が1個あればよい。日本人もこのよぐらい米を食べるようになれば(昔は食べたのだが)、古米問題も解決するだろう。米はジャポニカ米だと言うが、味はすこぶる不味い。また、ほとんど砕け米で、日本では売り物にならない様なものだが、別に問題視してはいない。トウモロコシ(マイス、英語はメイズmaize)は砕いて売っているので、それに習って砕いていると言う。砕くと速く炊けると思っているらしい。
CIMG4744写真:マーケットの米売り場、各種の米がある。

サマール紀行(5):動物も家族の一員


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リョレンテ村(町?)のバランガイ・ワンは、椰子の林の中にある。海岸が近いので、朝凪・夕凪の時以外は、常に風が吹いており、比較的涼しい。約10軒ほどの家が固まった隣組共同体のようなものが、いくつかある。たいていの民家は、いわゆる「ニッパ・ハット」である。壁は椰子の葉を編んだもので作られ、美しい模様になっていて、風通しが良いが、台風がくると雨風が家の中に入り込み、外とあまり変らなくなるというので、屋根と同じ材料で壁を葺いたものもあるが、見栄えが良くない。
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家の回りには、飼育している家畜が共存している。豚、犬、鶏、ガチョウ、鳩などは大抵放し飼いで、人間と同居しており、にぎやかである。ゴミ捨て場で、ゴミを漁っている豚は、今度のお祭りで「レチョン」(丸焼き)になる予定で、一応繋いであるが、来年用の子豚は放し飼いで、客人の所へ来て足を舐めたりする。ガチョウも備蓄用食料のひとつである。伝書鳩も飼っているが、これはこの家の主の趣味で、食料ではないそうだ。ガチョウや鶏が雛を連れて歩いている所を見ると、卵を取って食べるという事でもないようだが、「今度の息子の誕生日には、この三匹の鶏が、御馳走となる予定」、等と話している。

サマール紀行(3):東サマール州リョレンテ


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 東サマール州のリョレンテ(村のようにしか見えないが「市」らしい)は、州都ボロンガンより30kmほど南にある、海岸沿いの村落集合体である。ここより東側は、ずーっと太平洋で、遠くにグアムやサイパン、テニヤン等の島々があり、かっては日本の連合艦隊が遊弋し、現在では米国太平洋艦隊の原子力空母が常時パトロールしている戦略的に重要な海域で、またごく最近では、中国艦隊もロシアから購入した中古空母と、自国製の新造空母で、アメリカの縄張りに割り込んで来ている場所なのだが、地元の人間にとっては、そんなことは全く関係のない事のようで、問題にしている者はいない。
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 海岸沿いは全て珊瑚礁で覆われている。青い珊瑚礁などと言えば聞こえは良いが、ゴツゴツした岩の塊(珊瑚の死骸)が堆積した海岸は、素足では歩けない。水が引くと、そこここの水溜りに魚が落ちているので、ゴム草履を履き、バケツを片手に魚を探し晩御飯のオカズにしようと、付近の住民が歩き回っている。海岸沿いはサンゴが堆積し、5-10メートルほどの小山を成し、ココナツ椰子の樹が生い茂って、道路から海は見えない。海が見える所は珊瑚がなく、そういう所は大抵川の出口で、バンカ船が集まって港になっている。
 Mr. Kalsada(道路 )のエヴェルドーネ氏(Mr. Everdone)が完成させた、東サマール唯一の街道の西側には、所々に耕作地らしいものが見えるが、訪問した4―6月には、ほとんど耕作はされず、ただ、草原が広がっているだけで、そのほかの土地は椰子の木に覆われ、そこからさらに西側は、山に至るまでは平地か丘陵地帯が続いているはずだが、どうなっているのか、車上からは、皆目、検討が付かなかった。かって、大戦中に迂回して敵を攻撃しようとして、山岳地帯に入り込んだ日本軍も米軍も、みな道に迷い難渋したというから、結局、原始の森が今なお、広がっているのだろうか。
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