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カオハガン紀行(6)続カオハガン島の生活


Kaohagan Island

崎山さんは午後は昼寝の時間で、面会はしない予定だそうだが、折角来た事を話して、無理やり昼寝の邪魔をする事にした。従って、あまり詳しいことは聞けなかったので、以下の文章は主に崎山氏の著書から引用したののである。
この島は、海の真っ只中にあるので、島のどこを掘っても塩水ぐらい出てきても良さそうなものだが、珊瑚礁は水はけが悪く、かつ井戸を掘っても水が出ないという話である。このカオハガンは砂で出来ているというが、やはり水は出ないらしい。カオハガン島の飲料水は全て天から降ってくる雨水に頼っているそうだ。崎山さんは島の中央部に縦10 m、横5 m、深さ2 mの穴を掘り、コンクリートで固めて水槽を作った。満水になると100トンの水瓶だ。家の近くに高さ6 mの給水塔を建てその上に10トンのタンクを置いたという。しかし、最高に貯まって約60%までで、満杯になった事はないそうだ。(前掲「何もなくて・・・」)

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島民は大抵直径1 m、深さ1 mの水瓶(容積785 L)を持っており、これに雨水を貯めて使用しているそうだ。6月から次の年の3月までは季節風が雨をもたらし、水不足の心配は無いというが、4月、5月は全く雨が降らず、飲料水が枯渇してくる。自家水がなくなると、学校と教会の屋根から取れる公共の雨水タンク(8トン、4個)から20 L 1ペソ(2.5 円)で水を買わなくてはならない。これも枯渇すると元酋長の未亡人サビナのタンク(8トン、1本)から20 L3 ペソ(\7.5)で、それも無くなるとマクタン島まで出かけて、20 L4-7ペソ(\10-19)で水を買うことになるのだそうだ。

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天恵の水の衛生度

飲料水を雨水に頼っているという、カオハガン島の状態を天国と見るか否かも、意見の分かれるところであろう。文明諸国人の目からすると、そういう不衛生な事をしなければならないとは、地獄の極みと映るかもしれない。しかし、崎山氏の著書によると、水質検査をした結果では、カオハガンの雨水の純度は122、東京のミネラルウオーターのそれは123, セブ島のミネラルウオーター144、東京の水道水230、セブ島の水道水370という結果で、ここの雨水はミネラル・ウオーターよりも、水道水よりもきれいなのだそうだ。(この数字は通電度、電気抵抗の逆数、mho、と思われる。)

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島民の水の使用量は67人の1家族で160 L1人当たり平均10L弱である。これに対して東京都民は11246 Lの水を使っているという(前掲書)。朝日新聞(東京本社)(中村浩彦、2008610日・夕刊4版、14頁右上)によると、日本人1人1日平均310L、世界平均170L、都民は洗濯と風呂で114L,トイレで60Lの水を、毎日使っていると言う。軍隊の展開には水の補給が重要な任務で、ローマの水道はそのために作られたものだそうだが、近代の軍隊の場合、兵隊さん1人当たり1200L(ドラム缶1本)で計算しているそうだ。都民はそれ以上の水を使っている事になる。この東京の過剰な水使用状態は、食べても、食べても腹いっぱいにならないという、「餓鬼地獄」の一種ではなかろうか。(つづく)

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カオハガン紀行(5)カオハガン島の生活


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海上レストランでの大変な昼食を終え、カオハガン島へ向かう事になった。遠くにポツリと孤島が見えるようになった。カオハガンのようだ。

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近づくと茅葺屋根の東屋のようなものが見える。続いて茅葺の大屋根の家が見えてきた。これが崎山さんが苦労して建てた、家の中に家の3分の1の風の通り道があるという台風に強い家のようだ。良く見ると風力発電機のようなものも見える。

 

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やがて砂浜の近くにきて船は停止した。これから先は海の中を歩く事になった。当然、想定の範囲内だったので、サンダルのまま海の中をジャブジャブと歩いて砂浜に上陸した。ここが「ポントグ」と呼ばれる砂嘴のようである。砂浜に屋台を並べて、バーベキューをやっている。なるほど、これではさっきのボッタクリ・レストランのほうが近代的だ(地獄に近い?)。砂浜はきれいでボラカイ並みである。ちなみにマクタン島のリゾートの浜は珊瑚礁で、素足では歩けない。そのため、ホテル内に、人工のラグーンと砂浜が作ってあるが、その砂はみなここから採取して行ったそうである。(崎山著「何も無くて豊かな島」新潮社、1995、41頁)。

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カオハガン紀行(3)・海上レストラン


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カオハガン島へ向かう途中、海上レストランで昼食を摂る事になったが、食事の前に食べる魚を選ぶことになった(と、こちらが勝手に思ったのかも知れない)。写真のような赤い魚、ラプラプだろうか黒い魚。マジェランを殺したマクタン島の酋長の名前がついたこの魚は高級魚だ。後で、他のフィリピン人に尋ねると、赤いのも黒いのも“ラプラプ”だと言う。何と大雑把な・・・。ウニや“なまこ”もある。適当に選んで(あるいは選んだつもりで)、潮風の吹き抜けるレストランで、サンミゲルのお変わりをしながら、待つ事にした。涼風が吹き抜ける海上レストランはまさに天国とはこのようなものではないかと思われる情景である。

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崎山氏によると、カオハガンの住民が食する魚料理は2種類しかないという。(前掲、崎山克彦「何も無くて豊かな島」新潮社、1995)「ティアノ」と「イノンウナン」の2種類で、前者は魚のほかにトマト、タマネギ、青いパパイヤ、カボチャ、苦瓜、島で採れる野草などを入れた汁の多いスープで、塩・タマリンドで味付けしているという。イノンウナンは汁の少ない魚だけの煮付けだそうである。
主食は米かマイス(トウモロコシを引き割ったもの)を炊いたもので、これを一枚の皿に大盛りにし、それに前述のおかずをかけて、手でよくかき混ぜて食べる(カマヤン・スタイル)という。仕事が忙しいときは、おかずを食べずに、御飯だけ食べるそうだ。また、おかずを作るのが面倒な独身男性などは、ご飯を手に持って海に出かけ、片手で器用にウニをとり、それをおかずにして食べているという。これなども天国なのか地獄なのか、意見の分かれるところであろう。

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待つことしばし、やがて料理が出てきた。刺身もある。煮魚はまあまあだが、焼魚は焼き過ぎだ。真っ黒に焦がしてはいけない。薪などの炎の出る直火で焼くとこうなる。どこの海岸でもやっている、バーベキュー・フィッシュはみなこの状態である。良い魚の焼き物を作るには炭火が必要だが、ここ南洋の島では「炭」など発明されていないのではないだろうか。「この調子では鰻の蒲焼を作るのは無理だろうな」、などと思っていると、次から次へと頼んでもいない料理が出てくる。(つづく)

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カオハガン紀行(2)・涼しげな海上レストラン


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オランゴ島の椰子の林を右手に見て、茫洋と霞む水平線へ向かって延々と進む。1時間も経った頃、まだ昼には早かったが、「干潮なので島に近づき難いし、向こうへ行っても碌なレストランは無いから」とかの理由で、途中の海上レストランで、早い昼飯を摂ることになった。ドイツ人女性ジャーナリスト、ミルダ・ドリューケの書いた「海の漂泊民族 バジャウ」(畔上 司訳、草思社、2003)に出てくる、陸に上がったスールー海の漂泊民バジャウ人の海上小屋のように、浅い海に杭を打ち屋根をつけた、涼しそうなレストランだ。いよいよ天国の近くに来たのかと感じる。

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この辺りは、崎山氏によると、魚の宝庫だそうだ。日本の魚屋で見かける魚は全ているという。もっとも寒流系の魚はいないだろうと思うが、、。ただし外洋で獲れる魚は商品で島民の口には入らないそうだ。干潮時に珊瑚礁の内側の浅瀬には、「ゴンズイ、タコ、ウニ、小さな蟹、貝、ウナギモドキ・・・1時間も歩くと小さなバケツ一杯となる、、」(崎山克彦「何も無くて豊かな島」新潮社、1995)ほど、魚が取れるので、それを食料としているという。マクタン島から毎週通ってくる小学校の女教師は、この状態を貧困の極みと見て、「涙なくしては見られない」と言っているそうだが(前掲書)、崎山氏はこれこそ「天国の生活」と見ているようだ。

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カオハガン紀行(1)・天国に最も近いといわれる島へ


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カオハガン紀行・天国に最も近いといわれる島へ(#1)

珊瑚礁の、薄いグリーンの浅い海に囲まれたカオハガン島は、北緯10度、フィリピンの中央部、セブ島とボホール島の間にある熱帯の小島である。そこに20以上も前から日本人が渡り、住みついているという。あるとき、天国の入り口に最も近いと思われるその島に、島の主、崎山さんを訪ねた。

本当はハドサン・ホテルとかの側にある船着場から出航するのだそうだが、前日、セブのマクタン島リゾートホテルを見学していた折、ヒルトンホテルの更に北側に、船着場を発見。ホテルの塀越しに地元の船頭と思しきクヤ(kuya, お兄さん)にカオハガン島へ連れて行ってもらう様に頼んだのだった。

Hilton at Mactan

船賃は往復3000ペソだという。タクシー8時間貸切と同程度の値段だ。多少高いのではないかと思ったが、“May be OK!”ということで船出した。乗客5名に対し、船員は10名程もいる。多少多いようだが何かの役に立つのだろう。

カオハガン島はセブ空港のあるマクタン島の更に東側、オランゴ環礁の中にある。オランゴ環礁の北の端に一番大きいオランゴ島がペンダントの様に存在し、それから南側にネックレスの様にいくつかの小島が環状に連なっている。カオハガン島は環礁の中央部の東側にある周囲2 kmほどの島だ。満潮時に環礁の中央部を突っ切るのがマクタン島からの最短ルートだそうだが、今は干潮だというので環礁の北側を大きく迂回することになった。

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サマール紀行(11) 東サマールの飛行場


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ボロンガンには空港は無いと言ったが、実際には、「定期航空便」が無いだけで、飛行場は東サマールに、実は2か所もある。しかし、いずれも軽飛行機程度なら、離着陸が可能であろうと言う程度のものだが、かって飛行機が着陸したことはある。
1か所目はボロンガン空港である。2008年9月1日に、新しく選出された東サマール州知事ベン・P・エヴァルドーネ(Evardone)氏がマニラから飛行機で、関係者を引き連れ着任したという。「歴史的快挙」と新聞記事にもなった”処女航空機乗り入れ”を敢行したが、飛行機が飛んで来たのは、それ一回きりで、期待された定期便は、結局、開設されなかったという。
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飛行場には勿論、滑走路(Runway)もあり、セスナ機あたりなら、簡単に離着陸可能であろうが、航空標識のようなものは何も無い。空港敷地内に見られる唯一の建造物はブロック造りと思われる平屋建ての小家屋で、その前で牛が1頭草を食んでいたところを見ると、管理人として牛が住んでいるのではないかと思われる代物だ。
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さらに、滑走路を横切って、Punta Mariaと呼ばれるバランガイ(集落)へ続く道が延びており、その先にビーチもある。実際に飛行機が飛ぶようなことになれば、地下道を作るか、離着陸時に使用する”遮断機”を作る必要がある。
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下の写真は、飛行場の滑走路を超えたところにある集落、バランガイ・プンタマリアと、その先にあるビーチ(ヒランガガン・ビーチ)である。

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もうひとつは、東サマール南端のギーワン(Guiuan)にある飛行場である、ここは昨年の大台風ヨランダ(英名、ハイヤン)で甚大な被害を受けたところであるが、ボロンガンの牛小屋よりは、大きな建物のほか、人間の管理人もおり、標識灯などもある。かってアロヨ大統領が大統領専用機で着陸したと言う。しかし、同州全体から見ると、場所的に南に偏り過ぎている。
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いづれの飛行場も緊急時には使用できるが、大型旅客機には適していない。定期便が通うようになれば、リョレンテの価値も上昇しようが、そのためには東サマール州の産業や観光の振興が必要である。

サマール紀行(5):動物も家族の一員


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リョレンテ村(町?)のバランガイ・ワンは、椰子の林の中にある。海岸が近いので、朝凪・夕凪の時以外は、常に風が吹いており、比較的涼しい。約10軒ほどの家が固まった隣組共同体のようなものが、いくつかある。たいていの民家は、いわゆる「ニッパ・ハット」である。壁は椰子の葉を編んだもので作られ、美しい模様になっていて、風通しが良いが、台風がくると雨風が家の中に入り込み、外とあまり変らなくなるというので、屋根と同じ材料で壁を葺いたものもあるが、見栄えが良くない。
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家の回りには、飼育している家畜が共存している。豚、犬、鶏、ガチョウ、鳩などは大抵放し飼いで、人間と同居しており、にぎやかである。ゴミ捨て場で、ゴミを漁っている豚は、今度のお祭りで「レチョン」(丸焼き)になる予定で、一応繋いであるが、来年用の子豚は放し飼いで、客人の所へ来て足を舐めたりする。ガチョウも備蓄用食料のひとつである。伝書鳩も飼っているが、これはこの家の主の趣味で、食料ではないそうだ。ガチョウや鶏が雛を連れて歩いている所を見ると、卵を取って食べるという事でもないようだが、「今度の息子の誕生日には、この三匹の鶏が、御馳走となる予定」、等と話している。

サマール紀行(1):レイテからサマールへ


サマール紀行(1):レイテからサマールへ
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昨年の台風で甚大な被害を受けたフィリピンのレイテ島とサマール島。
レイテより更に貧しいと言われるサマールには、東・西および北サマールの3州があるが、そのいずれにも、定期便の通っている空港はなく、最寄りの空港はレイテ島のタクロバンである。
 東サマールの州都ボロンガンからは、島の東海岸沿いを下って、南端を回り、サン・ファニーコ橋を渡って、乗用車で4時間は掛る。日本の援助でマルコス時代に出来たという、「東南アジアで一番長い」と現地のヒトが自慢する、このサン・ファニコ橋は観光名所とはなっているものの、レイテ側から見ると、交通量も少なく、無用の長物のようにも見えたが、サマール側から見ると、どうしてどうして、この橋は州都ボロンガンから首都マニラへと直結する道路であるばかりではなく、サマール島全域から、救急車が患者をタクロバンの病院へ、救急搬送するための最重要な生活道路なのである。
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The Longest Bridge and the Highest Bridge


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レイテ島新名所・長い橋と高い橋
前出の「マルコス神社」の次に有名なのは、レイテ島とサマール島をつなぐ、東南アジアで最も長い橋「サン・ファニーコ・ブリッジ」である。日本の援助と技術によりマルコス時代に建てられたものだという。マルコスさんが生きていたら、今ごろはフィリピンの全島が橋とトンネルで結ばれていただろう等と昔を懐かしむレイテやビコール出身の、親マルコス派がマニラにもいるが、写真にも見られるような閑散とした交通状況は、レイテ島側から見る限り、この橋の経済効果を疑わせる。橋の対岸はサマール島の田舎で、そこにタクロバンから出かけていくような用事は少ないらしい。また西サマール州の中心地カルバヨグや、州都カトバロンガンあたりへ行くには、フェリーに乗っていったほうが楽だと言う。

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しかし、橋を渡ったサマール島側から見ると、この橋の重要性は極度に高くなる。レイテより更に貧乏で、虐げられた人民に支持された新人民軍(NPA)の発祥の地でもあるサマールには、救急患者を扱える病院がない。盲腸炎や骨折でも患者をタクロバンまで車で運ばなければならない。また、サマール島には、定期便が発着する空港がない。東サマール州の州都ボロンガンの最寄の空港はレイテ島のタクロバンだという。空路マニラに向かうには、やはりこの橋を渡って、タクロバンの空港から出発しなければならないのだ。この橋を通って、車でで4-5時間もかかるらしい。
従って、この日本の援助で完成したサン・ファニーコ橋は、サマール島民にとっては、命綱のようなものである。案内した運転手は、「フィリピンだけでなく、東南アジアで一番長い橋」だと自慢げに語っていた。

次の名所に案内するといって連れて行かれたのは、「フィリピンで一番高い橋」・アガス・アガス・ブリッジだという。30分で着くといわれたが、曲がりくねった山道をぐるぐると走り続け、1時間以上は掛かって、やっと到着した。橋のたもとにレストランのようなものが有ったので、展望できるのかと思ったら、橋の管理事務所だと言う。お役所天国の日本でも、橋の直ぐ傍に管理事務所を置いているところは無いだろう。国土庁の工事事務所はどこかにあるだろうが。このフィリピンでも最高地に架かっているこの橋の交通量は、しばらく眺めていたが、殆ど0である。たまに、下からやってくる車は、この橋を見るためだけに来ているようである。なるほど橋の中央部から下を見ると、確かに高い橋桁である。セメントをたくさん使うために作ったのではないかと疑われる。これも日本の援助で、アロヨ大統領の時に出来たのだと、運転手君はまた自慢げに語っていた。(次に、ウェブより集めAgas-Agas bridgeの写真を上げておく)
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下の写真は、台風30号(比名Yolanda, 英名Haiyan)襲来時のサンファニーコ橋。タクロバン市民はこの橋を渡って、サマール島側に避難したようだ。日本製の橋は、中古になってもこのぐらいの台風では、吹き飛ばされない事が証明された。多分メンテナンスはやってないだろうから、タガは大分緩んでいるはずだが?
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レイテの新名所:レイテ・パーク・ホテル


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このホテルは、レイテ湾の最も奥まった部分―サン・ペドロ湾を見下ろす小高い丘の上に建っている。地元の住民はイメルダのホテルと呼んでいる。この場所はイメルダさんに取って、思い入れのある土地のようだ。フィリピンの施設はどこでも同じようなものだが、このホテルも、例えば、「マニラの国鉄」、「LRT」、或いは、「マニラ・ホテル」の様な状態である。収益が悪いためか、メインテナンスがキチンの行われていないので、半ば、朽ちかけているのだ。マニラ・ホテルなどは、クルーズもやっていたことがある「汽船」を一艘、ホテル近くのドックに係留しているが、殆ど動く気配もない状態だ。このホテルも、エアコンなどは旧式のGE製でガタガタとものすごい音を立てているが、殆ど空気は冷たくならないなどと、評判が悪い。ビーチフロントにあるレストランは閉業状態。向こう岸近くにレジャー用の島も保有しているが、これも開店休業のようだ。料金を低く設定しているためか、地元民の利用が多い。エレベーターは3階しかないので不必要と考えたのか、形骸は残っているが、全く動かない。そういう通常のホテルに当然備わっているべきものを、期待している客に取っては、全くダメなホテルで、2スターぐらいの評価しかされていない。しかし、これでもフィリピンの平均的国民にとっては高値の花であろう。素晴らしいのは、客室からのレイテ湾の眺めであろう。そのためだけを目的としても、このホテルの存在価値はあろう。下にあるコテージより3階に泊まった方が良い。 (http://wp.me/p1kgUv-9T)


ホテルには、レストランやカフェもあるが、午後3時から6時頃までは、いわゆる「メリエンダ」のお時間で、まともな食事はできない。すべてが甘いものばかりである。ただし、ワインとマルガリータは飲むことができる。

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