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The Longest Bridge and the Highest Bridge


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レイテ島新名所・長い橋と高い橋
前出の「マルコス神社」の次に有名なのは、レイテ島とサマール島をつなぐ、東南アジアで最も長い橋「サン・ファニーコ・ブリッジ」である。日本の援助と技術によりマルコス時代に建てられたものだという。マルコスさんが生きていたら、今ごろはフィリピンの全島が橋とトンネルで結ばれていただろう等と昔を懐かしむレイテやビコール出身の、親マルコス派がマニラにもいるが、写真にも見られるような閑散とした交通状況は、レイテ島側から見る限り、この橋の経済効果を疑わせる。橋の対岸はサマール島の田舎で、そこにタクロバンから出かけていくような用事は少ないらしい。また西サマール州の中心地カルバヨグや、州都カトバロンガンあたりへ行くには、フェリーに乗っていったほうが楽だと言う。

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しかし、橋を渡ったサマール島側から見ると、この橋の重要性は極度に高くなる。レイテより更に貧乏で、虐げられた人民に支持された新人民軍(NPA)の発祥の地でもあるサマールには、救急患者を扱える病院がない。盲腸炎や骨折でも患者をタクロバンまで車で運ばなければならない。また、サマール島には、定期便が発着する空港がない。東サマール州の州都ボロンガンの最寄の空港はレイテ島のタクロバンだという。空路マニラに向かうには、やはりこの橋を渡って、タクロバンの空港から出発しなければならないのだ。この橋を通って、車でで4-5時間もかかるらしい。
従って、この日本の援助で完成したサン・ファニーコ橋は、サマール島民にとっては、命綱のようなものである。案内した運転手は、「フィリピンだけでなく、東南アジアで一番長い橋」だと自慢げに語っていた。

次の名所に案内するといって連れて行かれたのは、「フィリピンで一番高い橋」・アガス・アガス・ブリッジだという。30分で着くといわれたが、曲がりくねった山道をぐるぐると走り続け、1時間以上は掛かって、やっと到着した。橋のたもとにレストランのようなものが有ったので、展望できるのかと思ったら、橋の管理事務所だと言う。お役所天国の日本でも、橋の直ぐ傍に管理事務所を置いているところは無いだろう。国土庁の工事事務所はどこかにあるだろうが。このフィリピンでも最高地に架かっているこの橋の交通量は、しばらく眺めていたが、殆ど0である。たまに、下からやってくる車は、この橋を見るためだけに来ているようである。なるほど橋の中央部から下を見ると、確かに高い橋桁である。セメントをたくさん使うために作ったのではないかと疑われる。これも日本の援助で、アロヨ大統領の時に出来たのだと、運転手君はまた自慢げに語っていた。(次に、ウェブより集めAgas-Agas bridgeの写真を上げておく)
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下の写真は、台風30号(比名Yolanda, 英名Haiyan)襲来時のサンファニーコ橋。タクロバン市民はこの橋を渡って、サマール島側に避難したようだ。日本製の橋は、中古になってもこのぐらいの台風では、吹き飛ばされない事が証明された。多分メンテナンスはやってないだろうから、タガは大分緩んでいるはずだが?
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レイテ紀行・美しいレイテ湾


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~海征かば水浸く屍、山征かば草生す屍~ フィリピンのレイテ島はフィリピンで7番目か8番目に大きな島のようだが、そこは太平洋戦争中、米軍が再上陸し日本軍と激戦を展開した地点である。またマルコス元大統領の夫人イメルダさんの故郷でもある。しかし,このレイテ島と東隣のサマール島を含む東ビサヤ地区は、フィリピンの「最貧地域」でもあるという。従って、物価は安いと思われ、長期滞在(ロングスティ)には、適しているのではないかと思われるが、戦争の後遺症もあるだろうから、現地人の対日感情はどんなものか、先ずは訪問してみることにした。
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上の写真は、レイテパーク・リゾート・ホテルの客室からの眺めである。現前に広がる海はレイテ湾(Leyte Gulf)の更に奥まった部分、サン・ペドロ湾(San Pedro Bay)である。向う側に見える陸地はサマール島だ。レイテ島とサマール島の間は、サン・ファニーコ(San Juanico)水路と呼ばれる、狭い海峡となっており、その上にはサン・ファニーコ橋と呼ばれる橋が架っていて、現地の人が「東南アジアで最も長い橋」と自慢している。太平洋戦争で、フィリピン奪還を目指したマッカーサー元帥を総司令官とした米軍が反攻上陸した地点は、写真の向かって右方向(南側)にある。かって上空を日本軍の零戦・神風特攻機や米軍のグラマン機が飛び交ったとは思えない、平和な海である。朝焼けや、夕暮れのレイテ湾は美しい。ここにその写真をいくつか示す。

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レイテとサマールを結ぶサン・ファニーコ橋


レイテとサマールを結ぶサン・ファニーコ橋.