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ある日本人ロングステイヤーの生活(2)


Miller's Bar
アンヘレスの住人・多聞氏は、この地に住み着いて早や2年以上にもなる。はじめの頃は、物珍しさも手伝って、毎日のようにフィールズ街へ通い、あちこちとバーを徘徊していた。費用は1軒当たり150円(75ペソ)程度で安いが、どこも同じようなものばかりで、3ヶ月も経つと、だんだん意欲が沸かなくなってきたらしい。それでも、ショーを見学するために、今でも週に一回くらいは、クルージングしてはいるという。しかし最近では、自宅の近くにある例のメリッサのいるホテルで、晩飯も食べるようになったそうである。
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従って、多聞氏の一日は、朝起きると、クラークトン・ホテルでの朝食。気が向けばプールでひと泳ぎ。昼食は市内にある日本食レストランで摂り、来合わせた邦人ロングステイヤー仲間との情報交換。次に、フィールズ街をクルージングして帰宅。ラテン系の習慣シィエスタを取り、夜は主にクラークトン・ホテルのミラー・バーで過ごすという、判で押したような生活になる。彼には本職というものが無いので、有り余る余暇を今のところゴルフに使っているが、もっと有用な余暇の利用が今後の研究課題であろう。
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上・下の写真はクーヤ・タモンが、ロングステイの仲間と一緒に、よく昼食を取る和食レストラン「萩の家」さんのエントランス。
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下の写真は、「Hagi no Ya」さんのウエイトレスと食事。
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ロングステイヤーの夢の街・アンヘレス


アンヘレスの日本人ロングステイヤー、多聞氏は多忙である。しょっちゅう日本からお客さんが訪ねてくるからである。お客さんの種類は、前に勤めていた会社の同僚や、飲み仲間、時には日本の会社の社長さんなど、種々雑多であるが、決まって一番先に連れて行けとせがむのは、音に聞こえた、アンヘレスの夜の街「フィイールズ・ストリート」界隈である。この辺りは「バリバゴ・エンタティンメント・ディストリクト」として、地図にも別図として乗っている。その中に、ちょっと数えただけえも50を超える赤い星のマークが並んでいるが、これが全ていわゆる「ゴーゴーバー」と呼ばれるものである。ベトナム戦争当時、一時帰休米兵の慰安施設として栄えたものだが、ベトナム戦争が終結し、ピナツボ火山が噴火して、クラーク基地に居た米国空軍が横田基地に移転してしまい、バー街は気息奄々の状態だったのだが、ここに来て復活した。米軍はまだまだアジアで戦争をやっているからなのだろうか。同様に寂れていたタイのパタヤビーチも勢いを取り戻している。何はともあれ、夜の街に出てみよう。

フィールズ・ストリートは、しかし何となく閑散としている。この通りは最近”ウオーキング・ストリート”と、パタヤ・ビーチの繁華街と同じ名前を付けたようだが、パタヤほどの猥雑さはない。バービアと称する壁のない、むき出しの建造物が無いためだろう。しかし、メトロ・マニラのマカティ市にあるブルゴス・ストリートよりはか、なり繁盛している。店の中には、かなりお客さんが入っている。「ドールハウス」「アトランティス」「ゴールデン・ナイル」など、パリやニューヨークのオペラハウスには及びも付かないが、マカテのブルゴス街に軒を連ねるバー群に比べ、規模が大きいものが多い。お客さんは頑丈な体つきの欧米人らしい者が多い。5-6年前は、リタイヤした元米国軍人と思しき老人が、サンミゲルの小瓶1本で数時間ねばっていたものだが、様変わりしてしまった。日本人・韓国人・台湾人もいるようだが、目立たない。「パタヤ」「アンヘレス」「歌舞伎町」は、ベトナム戦争時、帰休兵の慰安施設として始まったものだそうだが、前2者の現在の活況は、アジアで展開している米軍の活動と関係があるのだろうと多聞氏は思っている。