カオハガン紀行(7)天国に近い生活とは


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我々は、1日200L以上もの水を何に使っているのだろうか。飲料水ならば2Lもあれば十分だろう。洗濯、風呂、シャワー、トイレが多量の水の使用目的だ。昔、日本では風呂の水は焚き沸かして何回も使ったのだが、最近は洋式風呂の様に、各人流してしまうようだ。こうなると200Lのリミットを簡単に越えてしまうだろう。フィリピンでは日本式風呂は大変な贅沢な物の一つである。自分の家を持っている中流程度の家庭でも、風呂はおろかシャワーの出口もない。シャワーやトイレではバケツ1杯の水で済ますのである。ここカオハガンでは入浴は海に入って身体を擦ることで済ませ、トイレは無いという。女は海岸の縁で、男は海の中に入って用を足すのだという。潮の流れを見極め、潮の流れに向かって排泄するのがコツで、逆にすると大変なことになるらしい(前掲書「近い何もなくて・・」66頁)。したがって、排泄用などには貴重な雨水は使わないのだそうだ。崎山氏は、トイレはやはり必要と思われたので、竹で囲われたトイレを作ってみたが不評だったという。大きく、広い自然の中で、ゆっくりと用を足すのが気持ちよいのだろう。

こうしてみると、日本では当たり前のように考えられている、高い山があり、冬には雪が積もるとか、川が流れているなどということは、大きな財産を持っているとことになるいうことが、良くわかる。物質文明の行き着く先は、天国ではなく、地獄ではないかと思われる。

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これが天国に近い島の生活である。お金に代表される、「物」はないが、豊かな時間があるのが特長のようだ。文明社会には、時間もお金もなく、殺伐とした人々の暮らしがある。東京にあるのは、出社時間に遅れそうになった人々が、満員電車の中で、押し合いへし合いしながらイライラしている生活がある。働けど働けど、楽にも成らず、時間のゆとりもない文明社会の生活は、やはりミヒャエル・エンデが作品「モモ」(1973)の中で言うように、「時間窃盗団」に時間を「詐取」された結果なのかもしれない。そのようなゆとりのない生活が、人の心を蝕み、地獄を現出させているのかもしれない。

最後に、崎山氏の著作より抜粋した、カオハガンの生活=天国に近い生活、をまとめてみよう。

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天国の入口にある島

南方の人々は 穏やかな気候と 豊かな環境に恵まれて
その日暮らしができるため 将来に備えて行動することが あまりない
今 少し我慢して 将来に備えようということを しない
島では一日が何となく 過ぎていく
島のすべての人には 重要な予定はない
出会いの中で 一日が過ぎていく

気分が悪かったら 椰子酒を飲み ギターを弾き 歌う
魚を獲ったり 家の修理や お土産売の仕事もあるが
必ず今しなければならないと 思っているわけではない
また明日があるのだ
自然に身をゆだねて 太陽が沈むと 一日が終わり
太陽が昇ると また一日が始まる

時は 過ぎ去っていくのではなく 繰り返しているのだ
焦ることなく ゆったりと 今を生きる
自然のリズムに沿って 逆らわずに生きると
心が休まる

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カオハガン紀行(6)続カオハガン島の生活


Kaohagan Island

崎山さんは午後は昼寝の時間で、面会はしない予定だそうだが、折角来た事を話して、無理やり昼寝の邪魔をする事にした。従って、あまり詳しいことは聞けなかったので、以下の文章は主に崎山氏の著書から引用したののである。
この島は、海の真っ只中にあるので、島のどこを掘っても塩水ぐらい出てきても良さそうなものだが、珊瑚礁は水はけが悪く、かつ井戸を掘っても水が出ないという話である。このカオハガンは砂で出来ているというが、やはり水は出ないらしい。カオハガン島の飲料水は全て天から降ってくる雨水に頼っているそうだ。崎山さんは島の中央部に縦10 m、横5 m、深さ2 mの穴を掘り、コンクリートで固めて水槽を作った。満水になると100トンの水瓶だ。家の近くに高さ6 mの給水塔を建てその上に10トンのタンクを置いたという。しかし、最高に貯まって約60%までで、満杯になった事はないそうだ。(前掲「何もなくて・・・」)

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島民は大抵直径1 m、深さ1 mの水瓶(容積785 L)を持っており、これに雨水を貯めて使用しているそうだ。6月から次の年の3月までは季節風が雨をもたらし、水不足の心配は無いというが、4月、5月は全く雨が降らず、飲料水が枯渇してくる。自家水がなくなると、学校と教会の屋根から取れる公共の雨水タンク(8トン、4個)から20 L 1ペソ(2.5 円)で水を買わなくてはならない。これも枯渇すると元酋長の未亡人サビナのタンク(8トン、1本)から20 L3 ペソ(\7.5)で、それも無くなるとマクタン島まで出かけて、20 L4-7ペソ(\10-19)で水を買うことになるのだそうだ。

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天恵の水の衛生度

飲料水を雨水に頼っているという、カオハガン島の状態を天国と見るか否かも、意見の分かれるところであろう。文明諸国人の目からすると、そういう不衛生な事をしなければならないとは、地獄の極みと映るかもしれない。しかし、崎山氏の著書によると、水質検査をした結果では、カオハガンの雨水の純度は122、東京のミネラルウオーターのそれは123, セブ島のミネラルウオーター144、東京の水道水230、セブ島の水道水370という結果で、ここの雨水はミネラル・ウオーターよりも、水道水よりもきれいなのだそうだ。(この数字は通電度、電気抵抗の逆数、mho、と思われる。)

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島民の水の使用量は67人の1家族で160 L1人当たり平均10L弱である。これに対して東京都民は11246 Lの水を使っているという(前掲書)。朝日新聞(東京本社)(中村浩彦、2008610日・夕刊4版、14頁右上)によると、日本人1人1日平均310L、世界平均170L、都民は洗濯と風呂で114L,トイレで60Lの水を、毎日使っていると言う。軍隊の展開には水の補給が重要な任務で、ローマの水道はそのために作られたものだそうだが、近代の軍隊の場合、兵隊さん1人当たり1200L(ドラム缶1本)で計算しているそうだ。都民はそれ以上の水を使っている事になる。この東京の過剰な水使用状態は、食べても、食べても腹いっぱいにならないという、「餓鬼地獄」の一種ではなかろうか。(つづく)

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カオハガン紀行(5)カオハガン島の生活


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海上レストランでの大変な昼食を終え、カオハガン島へ向かう事になった。遠くにポツリと孤島が見えるようになった。カオハガンのようだ。

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近づくと茅葺屋根の東屋のようなものが見える。続いて茅葺の大屋根の家が見えてきた。これが崎山さんが苦労して建てた、家の中に家の3分の1の風の通り道があるという台風に強い家のようだ。良く見ると風力発電機のようなものも見える。

 

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やがて砂浜の近くにきて船は停止した。これから先は海の中を歩く事になった。当然、想定の範囲内だったので、サンダルのまま海の中をジャブジャブと歩いて砂浜に上陸した。ここが「ポントグ」と呼ばれる砂嘴のようである。砂浜に屋台を並べて、バーベキューをやっている。なるほど、これではさっきのボッタクリ・レストランのほうが近代的だ(地獄に近い?)。砂浜はきれいでボラカイ並みである。ちなみにマクタン島のリゾートの浜は珊瑚礁で、素足では歩けない。そのため、ホテル内に、人工のラグーンと砂浜が作ってあるが、その砂はみなここから採取して行ったそうである。(崎山著「何も無くて豊かな島」新潮社、1995、41頁)。

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カオハガン紀行(4)ボッタクリ文明の侵入


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一行の中に、甲殻類アレルギーの者がいたので、エビやカニの類は一切注文しなかったのだが、どんどん出てくるのだ。変だなと思ったが、そういうものは全て返品して、或いは返品したつもりで、いざ支払いの段となってその高い勘定書に驚いた。

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合計17,600ペソ、日本円で44,000円(当時のレート1p2.5円)である。マカティのシャングリラ・ホテルにあるマニラでは超一流といわれる中華料亭「上宮飯店」で北京ダックやフカヒレなど3人で食べきれないほど食べても10,000ペソぐらいだ。それ以上の値段である。この田舎では、少し高すぎる。どうも、まだ昼にもなっていないのに、ここへ寄ったことが怪しい。船頭と飯屋がつるんでいるようだ。舟人足共の昼飯代も皆含まれているのだろう。歌舞伎町の“ぼったくりバー”顔負けの、レストランである。

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この勘定書では、どうしてこの価格になったのかわからないので、「どの料理は幾ら、どの料理は幾ら」、と書いた明細書を出してくれるように頼んでみたら、ママさん兼調理主任らしいアテ(小母さん乃至お姉さん)が出てきて、“アソーテド”なので明細は不明だという。おまかせ料理というつもりらしい。それではメニューを見せろと言って見た。もっともこういうことは最初に言うべきことなのだが、“アイランド・アフェアー”と言うことで油断していたわけである。メニューも用意していないという。この辺は“島の事情”だ。昨日マクタン島のレストランで、ラプラプの焼魚他、アドボ、シニガンなど3人で食べ放題に食べて、700ペソ(1,750円)だったので、その延長線上で、2000ペソか観光地なので3000ペソぐらいに考えていたのだが、これはチョッと性質(タチ)が悪い。こういうボッタクリを繰り返すと、客が来なくなるので、自分で自分の首を絞めているようなものだが、頭の悪いワルがこの辺りに、蔓延(ハビコ)って来ているようだ。

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日本式問題解決法

こういう時は大声で怒鳴るにかぎる。日本語で十分である。英語や現地語を使う必要はないのだ。怒っている事は誰にでも分かるし、意味が分からないだけ余計に効果があるのだ。大声で「この馬鹿ヤロー!こんな高いもの払えるか!書き直して来い!」と言ってみた。この方法は、インド、インドネシア、フィリピンでは実証済みで、効果があることが分かっているが、日本、韓国、中国では使用しないほうが良いだろう。北アジアの連中はしょっちゅう喧嘩をしているので、一寸ぐらい怒鳴られてもへこたれない。かえって薮蛇になることが多い。ソウルや上海などでは街を歩いていると、いきなり殴り合いに出くわすことが多いが、東南アジアやインドでは喧嘩は見たことが無い。スリランカで暴威を奮っているタミール族も、本拠地チェンナイ(旧マドラス)では大人しいもので、そこではイスラムもヒンドゥーも、隣合わせに寺院があっても喧嘩をすることはない。タミール人の“イーラムの虎”が暴れているのは何故だろう?フィリピン人は特に怒鳴られるのには弱いようだが、何故だろう?300年にも及ぶスペイン人による統治の影響だろうか?

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効果はてきめんである。アテが早速書き直してきた勘定書を見ると、11000ペソ×5人分で5000ペソと大雑把な勘定だが一応明細にはなっている。それにビールや飲み物の代金は細かく書き加えて、合計6,500ペソ(16,250円)だという。一挙に半分以下になったが、まだ、十分に高すぎる。この半分ぐらいが正当な値段だ。しかし、舟に乗ってきた連中やら、魚を取ったり運んだり等、多くの関連企業?の皆さんが何とか食っていくにはこのぐらいの金が必要なのだろう。と考えるのが日本人の甘く優しい所で、東南アジアの人々から好感を持って(ある程度馬鹿にされて)迎えられている(たかられている)所以であろう。韓国人やオーストラリア人はシビアに値切るので嫌われている。中国人は徹底的に値切った後で、チップだと言って最初の値段を支払うという、不思議な取引(朝貢貿易の名残か)をするので尊敬されている。

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そんな事で、この辺で支払うことにし、500ペソずつ数えながら、相手に渡し、五千ペソになったあたりで、「時蕎麦」よろしく、It’d be OK!と言ってみたら、アテ・ママはニコニコして、サンキューと、握手をしてチップも要求せず去っていった。何れにせよ天国の近くまで地獄が迫っている事が分かり、大変良い勉強になった。

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カオハガン紀行(3)・海上レストラン


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カオハガン島へ向かう途中、海上レストランで昼食を摂る事になったが、食事の前に食べる魚を選ぶことになった(と、こちらが勝手に思ったのかも知れない)。写真のような赤い魚、ラプラプだろうか黒い魚。マジェランを殺したマクタン島の酋長の名前がついたこの魚は高級魚だ。後で、他のフィリピン人に尋ねると、赤いのも黒いのも“ラプラプ”だと言う。何と大雑把な・・・。ウニや“なまこ”もある。適当に選んで(あるいは選んだつもりで)、潮風の吹き抜けるレストランで、サンミゲルのお変わりをしながら、待つ事にした。涼風が吹き抜ける海上レストランはまさに天国とはこのようなものではないかと思われる情景である。

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崎山氏によると、カオハガンの住民が食する魚料理は2種類しかないという。(前掲、崎山克彦「何も無くて豊かな島」新潮社、1995)「ティアノ」と「イノンウナン」の2種類で、前者は魚のほかにトマト、タマネギ、青いパパイヤ、カボチャ、苦瓜、島で採れる野草などを入れた汁の多いスープで、塩・タマリンドで味付けしているという。イノンウナンは汁の少ない魚だけの煮付けだそうである。
主食は米かマイス(トウモロコシを引き割ったもの)を炊いたもので、これを一枚の皿に大盛りにし、それに前述のおかずをかけて、手でよくかき混ぜて食べる(カマヤン・スタイル)という。仕事が忙しいときは、おかずを食べずに、御飯だけ食べるそうだ。また、おかずを作るのが面倒な独身男性などは、ご飯を手に持って海に出かけ、片手で器用にウニをとり、それをおかずにして食べているという。これなども天国なのか地獄なのか、意見の分かれるところであろう。

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待つことしばし、やがて料理が出てきた。刺身もある。煮魚はまあまあだが、焼魚は焼き過ぎだ。真っ黒に焦がしてはいけない。薪などの炎の出る直火で焼くとこうなる。どこの海岸でもやっている、バーベキュー・フィッシュはみなこの状態である。良い魚の焼き物を作るには炭火が必要だが、ここ南洋の島では「炭」など発明されていないのではないだろうか。「この調子では鰻の蒲焼を作るのは無理だろうな」、などと思っていると、次から次へと頼んでもいない料理が出てくる。(つづく)

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カオハガン紀行(2)・涼しげな海上レストラン


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オランゴ島の椰子の林を右手に見て、茫洋と霞む水平線へ向かって延々と進む。1時間も経った頃、まだ昼には早かったが、「干潮なので島に近づき難いし、向こうへ行っても碌なレストランは無いから」とかの理由で、途中の海上レストランで、早い昼飯を摂ることになった。ドイツ人女性ジャーナリスト、ミルダ・ドリューケの書いた「海の漂泊民族 バジャウ」(畔上 司訳、草思社、2003)に出てくる、陸に上がったスールー海の漂泊民バジャウ人の海上小屋のように、浅い海に杭を打ち屋根をつけた、涼しそうなレストランだ。いよいよ天国の近くに来たのかと感じる。

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この辺りは、崎山氏によると、魚の宝庫だそうだ。日本の魚屋で見かける魚は全ているという。もっとも寒流系の魚はいないだろうと思うが、、。ただし外洋で獲れる魚は商品で島民の口には入らないそうだ。干潮時に珊瑚礁の内側の浅瀬には、「ゴンズイ、タコ、ウニ、小さな蟹、貝、ウナギモドキ・・・1時間も歩くと小さなバケツ一杯となる、、」(崎山克彦「何も無くて豊かな島」新潮社、1995)ほど、魚が取れるので、それを食料としているという。マクタン島から毎週通ってくる小学校の女教師は、この状態を貧困の極みと見て、「涙なくしては見られない」と言っているそうだが(前掲書)、崎山氏はこれこそ「天国の生活」と見ているようだ。

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カオハガン紀行(1)・天国に最も近いといわれる島へ


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カオハガン紀行・天国に最も近いといわれる島へ(#1)

珊瑚礁の、薄いグリーンの浅い海に囲まれたカオハガン島は、北緯10度、フィリピンの中央部、セブ島とボホール島の間にある熱帯の小島である。そこに20以上も前から日本人が渡り、住みついているという。あるとき、天国の入り口に最も近いと思われるその島に、島の主、崎山さんを訪ねた。

本当はハドサン・ホテルとかの側にある船着場から出航するのだそうだが、前日、セブのマクタン島リゾートホテルを見学していた折、ヒルトンホテルの更に北側に、船着場を発見。ホテルの塀越しに地元の船頭と思しきクヤ(kuya, お兄さん)にカオハガン島へ連れて行ってもらう様に頼んだのだった。

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船賃は往復3000ペソだという。タクシー8時間貸切と同程度の値段だ。多少高いのではないかと思ったが、“May be OK!”ということで船出した。乗客5名に対し、船員は10名程もいる。多少多いようだが何かの役に立つのだろう。

カオハガン島はセブ空港のあるマクタン島の更に東側、オランゴ環礁の中にある。オランゴ環礁の北の端に一番大きいオランゴ島がペンダントの様に存在し、それから南側にネックレスの様にいくつかの小島が環状に連なっている。カオハガン島は環礁の中央部の東側にある周囲2 kmほどの島だ。満潮時に環礁の中央部を突っ切るのがマクタン島からの最短ルートだそうだが、今は干潮だというので環礁の北側を大きく迂回することになった。

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サマール紀行(12) 東サマールの港湾と道路と観光


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東サマール州にある二つの空港は、いずれも狭く規格外でジャンボジェット機には適してはいない事は先述のとおりだが、一方、海の港の方も東サマールには3ヶ所あるものの、どれも近代的港湾とは言い難く、大型船には向いていない。東サマールの海岸は殆どが珊瑚礁で覆われており、引き汐になると浅瀬となってしまうので、大きな船は勿論、バンカ・ボートでも近づけない。州都ボロンガンには、この海に、突堤を築き、小型―中型船が着岸できるようにはなっている。しかし、荷揚げ設備としては、クレーン船を一艘、突堤の先端に停泊させ、それによって積み荷の上げ下げを行っているようだ。
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ヘネラル・マカルトゥールにも港があるが、漁港のようで、どのぐらいのトン数の船が停泊できるのかは不明である。見学したときはバンカが一艘、舫って居ただけだった。
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サマール島東南端のギーワンにも港があり、当地の小学生用の社会地図帳にも、港のマークとレイテ島タクロバンへの航路が記されている。しかし、岸壁のようなもの、あるいはクレーンのような荷揚装置は見当たらず、小型のクルーサーが一艘停泊していただけだった。
?????????????????????????????陸路の状況は、本紀行の、はじめの方にも記したように、サマール島東海岸沿いの道路は一本道で、舗装状態が極めて悪く、時速20-30kmで走るのが関の山だった。しかし、前知事エバルドーネ氏は知事退職後(任期1年、再選不可)、下院議員となって、東サマール州道路改善事業を立ち上げ、公費で改修を進めた結果、一応、片道1車線の舗装道路が出来た。従って、今では時速50-60kmぐらいで走ることが出来るようになり、従来、1時間はかかっていた、ボロンガンーリョレンテ間を、30-40分程度で走ることができる。彼が道路予算を一番多く使ったというので、彼にはミスター・カルサーダ(Mr. Kalsada)といるアダ名がついたという。カルサーダとは、タガログ語で”道路”という意味である。但し、車道のみで歩道は無いが、今のところは、交通量が殆どないので問題はない様である。

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乗用車はほとんど走っていない。超満員のジプニーやオートバイの横にリヤカーを付けたような「トライシッケル」と呼ばれている乗り物、あるいは、マニラで言うところの「ペディキャブ」(輪タク)が時々走っているような状況である。このように、空・海・陸、共にそろって、運輸交通事情は将に、「発展途上」そのものである。

同様に、観光業にも目下のところ、セブのマクタン島に見られるような、大型の観光施設・レジャー産業は皆無である。所々に付近の人々が「浜遊び」に出かけるような、日本流に言うと「海水浴場」が存在するのみである。しかし、それはそれで結構楽しそうである。しかも、きわめて安い料金で利用することができる。

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マニラのナショナル・ブック・ストアで購入した観光アトラスには、ボロンガン付近に「洞窟」や「筏乗り」が有るように記してあるが、当地の人は全く知らない。このように、観光・レジャー産業には、全く見るべきものはない。海と山と川があるので、今後観光資源を開発しようとすれば、可能ではあるが、そのためには、交通基盤の整備が肝要であろう。

サマール紀行(11) 東サマールの飛行場


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ボロンガンには空港は無いと言ったが、実際には、「定期航空便」が無いだけで、飛行場は東サマールに、実は2か所もある。しかし、いずれも軽飛行機程度なら、離着陸が可能であろうと言う程度のものだが、かって飛行機が着陸したことはある。
1か所目はボロンガン空港である。2008年9月1日に、新しく選出された東サマール州知事ベン・P・エヴァルドーネ(Evardone)氏がマニラから飛行機で、関係者を引き連れ着任したという。「歴史的快挙」と新聞記事にもなった”処女航空機乗り入れ”を敢行したが、飛行機が飛んで来たのは、それ一回きりで、期待された定期便は、結局、開設されなかったという。
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飛行場には勿論、滑走路(Runway)もあり、セスナ機あたりなら、簡単に離着陸可能であろうが、航空標識のようなものは何も無い。空港敷地内に見られる唯一の建造物はブロック造りと思われる平屋建ての小家屋で、その前で牛が1頭草を食んでいたところを見ると、管理人として牛が住んでいるのではないかと思われる代物だ。
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さらに、滑走路を横切って、Punta Mariaと呼ばれるバランガイ(集落)へ続く道が延びており、その先にビーチもある。実際に飛行機が飛ぶようなことになれば、地下道を作るか、離着陸時に使用する”遮断機”を作る必要がある。
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下の写真は、飛行場の滑走路を超えたところにある集落、バランガイ・プンタマリアと、その先にあるビーチ(ヒランガガン・ビーチ)である。

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もうひとつは、東サマール南端のギーワン(Guiuan)にある飛行場である、ここは昨年の大台風ヨランダ(英名、ハイヤン)で甚大な被害を受けたところであるが、ボロンガンの牛小屋よりは、大きな建物のほか、人間の管理人もおり、標識灯などもある。かってアロヨ大統領が大統領専用機で着陸したと言う。しかし、同州全体から見ると、場所的に南に偏り過ぎている。
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いづれの飛行場も緊急時には使用できるが、大型旅客機には適していない。定期便が通うようになれば、リョレンテの価値も上昇しようが、そのためには東サマール州の産業や観光の振興が必要である。

サマール紀行(10)お祭のメイン・イベントは豚の丸焼き作り


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これらの行事と並行して、多くの親戚、友人達が、ひっきりなしに訪ねてくる。マニラで就職していた従兄弟なども、休暇を取って帰郷し、親戚を回って歩く。丁度、日本の盆と正月がいっぺんに来たような状態である。特に、多少お金があるような家は、ホウスト・ハウスとなって、朝からご馳走作りに大忙しである。お祭りのご馳走には、何が何でも「豚の丸焼き」(レチョン・ナン・バブイ)を作らないと、大きな家としての面目が立たない。但し、これらの準備には、付近の住民が総出で手伝ってくれる。
千客万来ーお祭りは忙しい。

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  昨日まで、庭の片隅で、土を穿り返して、何かを食べていた豚である。この辺りでは、碌な餌は与えなくても、豚は育つ様だ。朝の8時ごろには、もう半焼けの状態になっていた。豚の堵殺や内臓の取り出し、肛門から口へかけての串刺しは隣近所の男衆がやったらしい。当家の主人はマニラ直行大型バスの運転手で、一旦、家を出ると、往復4日間は帰宅しないという。ちょうどこの日も出勤中で、夕方に「エンペラドール」2本と青マンゴー2袋を持って帰宅した。
エンペラドールはこちらの人が好む酒で、アルコール度は40度。ブランディーだというが、葡萄も無いのにどうやって作ったのか?多少甘めである。恐らく、こちらに幾らでもある、サトウキビの搾り粕などを用いて製造した、ラム酒の一種か、或いは、醸造や蒸留といった手間を一切省き、飲用アルコール、調味料・甘味料・着色剤等を用いて合成したもの、ではないかと思う。タンドゥアイ・ラムより飲みやすい。青マンゴーは薄切りにして食べるとサクサクして、日本の漬物のような感じである。千客万来、エンペラドール、レッド・ホース、トゥバ酒(椰子酒)を大いに飲み干して、翌日、親父殿は二日酔いの頭を抱えながら、家の前のサリサリストアで青マンゴー1個、5ペソで販売していた。
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レチョンの料理法
 串刺しになった豚を焚火の上でゆっくり回す仕事は、小学4年生の息子に任されていた。だんだん良い色になって来るが、合計5-6時間焼かなければならないという。良い色艶を出すためには、最後の段階で、コンデンスミルクを掛けて焼くのが秘訣だと言う。そうすると、皮がきつね色からチョコレート色に変る。中身の豚肉は蒸し焼きになっているので、脂身と一緒になって真白である。剥ぎ取った皮は色良く焼けてはいるが、かなり堅い。しかし、こちらの人は”crispy!”(パリパリだ)とか言いながら、簡単に噛み砕いているが、どうも日頃から顎を鍛えていない日本人には無理なようだ。

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 豚の内臓は細切れにして、血液と一緒に煮込む。多少、生臭いがレバーペーストのような、こってりとコクのある料理(ティヌグアン)が出来上がる。これを少量、ご飯に付けて食べると美味だといっている。
中華料理にも「子豚の丸焼き」がある。上手な料理屋で食べると北京ダックより美味しいが、下手なところで食べるとグニャっとした食感で不味い。特殊な技法があるようだ。香港では結婚式の翌朝、花婿から花嫁の実家に、2頭届ける習慣があると、邱永漢さんが自叙伝のようなものに書いている。横浜の中華街では1週間前からの予約が必要で、1匹10万円(10年以上前のこと)だと言っていた。その技法を持ち込めば、リョレンテの名物になるだろう。もう少し小さい豚だが。