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Sabang Beach – A Sanctuary of the Long-Stayer’s


サバン・ビーチ

最初の晩はナグラ・ビーチに泊まり、夕方、かの有名なフィリピン特有の交通機関「ジープニー」でサバンビーチへ繰り出した。サバンビーチの夕方は引き潮で、前浜の海底が顔を出している。海底に藻がたくさん露出して、きれいだとはいえない。昼間は海水で覆われ、たくさんのバンカーボートが浮かび、その周りをたくさんの子供が取り巻いて泳いでいる。

船が着くと彼らは群がってきて、ロープを引っ張ったりなど、お手伝いをしている。感心なものだ等と思っていると、そのうちにコイン、コインなどとねだって来る。お客さんにコインを海底に投げてもらい、素早く潜ってコインを拾って来るという芸を披露してお金を稼いでいるようだ。それだけ海がきれいだという事であろうか?

  

白人の隠れ家

サバン・ビーチから海岸沿いに、スモール・ララグーナ、ビッグ・ララグーナ・ビーチへと歩いてみた。ビッグ・ララグーナのドンづまりのレストラン・バーで一休み、サンミゲルを飲んでいるうちに夜になってしまった。すると、この辺りに泊まっていると思われる白人が三々五々と集まってくる。かなり長期間逗留しているのであろうか、メニューなぞ見ずにウエイトレスに何か合図を送るとOKとなる。多分、毎日日替わり定食のようなものを食べているのであろうか。相当の常連さんのようである。東洋人のお客はわれわれ以外には誰もいない。コーカシアンばかりだ。この辺はヨーロッパ流れ者の隠れ家なのか?レストランに備え付けられたかなり手垢にまみれた書物を読んでいる白人もいる。日本ならさしずめ週刊誌を読むというところだろうが。ということは付近には図書館、ブック・ストアなどの書籍関連文化施設がが少ないのかも知れない。

この先にココ・ビーチがあるというが、山越えをしないといけないというので、またの機会にして、引き返す事にしたが、足元が非常に暗い。

 

ブラウン・アウト

やっと明るい所へ来たので、とあるビーチ沿いのレストランに入り夕食をとっていると突然停電である。停電は英語では通常ブラック・アウト(black out)というが、この辺ではブラウン・アウトと言っている。blow, blew, blownのブラウンらしい。つまりヒューズがとんだのだと言っているわけである。電力不足によるらしい。需要に供給が追いつかないだろう。そういえばこの辺りには、火力発電の高い煙突も高圧線の鉄塔も見えない。どうやって発電しているのだろうか。そうこうしている間に電気が点いたので、食事を済ましたが、バーホッピングを終えて夜遅くナグラビーチに帰着してみると、辺り一帯は依然ブラウンアウトのままである。ウィリンさんが懐中電灯を照らしながらやってきて、ゲートの鍵を開けてくれた。セキュリティーは厳重である。ろうそくを一本渡されて、それが今夜の灯かりとなった。バスルームの洗面台の上に立て、ドアを半開きにしておいたら、良いムードのライティングとなった。朝までにろうそくは半分の長さになっていた。結局、次の日もプエルト・ガレーラは一日中停電だったらしいが、サバンは自家発電で電気を灯したらしい。


Nagura Beach, Here and There


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  ナグラビーチの女主人、ウィーリンさんは英語は話すが、日本語は全くだめ。妹さんが日本人と結婚して日本にいるそうだ。その妹の子供が一緒に住んでおり、ウィリン伯母さんが毎朝トライシッケルに乗せて小学校に送って行っている。この妹さん夫婦が将来ここに帰って、跡を継ぐことになれば、また日本からの客が増えることになるかもしれない。

  付近は漁村で浜辺には漁船がたくさんあるが、観光用の施設はダイビング・スポット以外には何もない。至って静かな雰囲気の中に、時間が止まっている。日陰になっているベランダの椅子に座って、海風に当たりながら、サンミゲル・ビールのビンを空けていると、天国ならぬ極楽である。私には天国よりも極楽のほうが実感があり、望ましい感じがするが、スピリチュアリティの違いによるものだろうか?  

     東に行けば先ほど着いた波止場を通り越して、更に2-3kmのところ、波止場の付近も含めてポブラシオン地区(バランガイ)と呼ばれているらしいが、そこにカラオケ・バーが4-5軒、サリサリストア他、ホテルなどがある。その中にYokota Sea Clubという日本人の経営らしい宿泊施設もあるが、現在改装休業中である。更に山を越えて7-8キロも行けば、最初に船が着いたサバンビーチに至る。前述のようににぎやかな観光地である。名倉ビーチから西へ向かうと、ホワイト・ビーチに出る。こちらは多少鄙びていて、お店や食堂も並んでいるが、サバンビーチに比べると静かで、海がきれいな所である。

 
 
 

 

Nagura Beach: Tranquility in the Heaven


ナグラ・ビーチ 静けさの天国  ナグラ・ビーチはプエルト・ガレーラのムーリェ埠頭から、西方約5km の所にある。日本人の名倉英次郎さんによって開かれたビーチで、ダイビング客のための宿泊施設とレストランがある。名倉さんが2年前になくなってから、奥さんのウィ-リン(Welyn)さんが取り仕切っている。数人のメイドさんやボーイさんがいて、毎朝一生懸命掃除をして、きれいに保たれている。

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メニューも豊富でおいしい。以前には、日本人が多数来て、半年も滞在していた人もいたそうだが、最近では日本人は誰も来ないという。そのはずである。インターネットでNagura Beachを検索するとヒットするが、そこに出ている電話番号が間違っているものもあるからだ。特に外国版の検索エンジンなどで調べるとそんな結果になる。正しい番号は平成19年3月(Mar., 2007)時点で、091-7744-8906、日本から掛ける時は、6391-7744-8906となる。

いわゆる電線で電話会社につながった電話は無い。前述のサイトにあるアジアジャーナリスト・ 松田 健氏と名倉さんのインタビューによると、名倉さんはビジネスを持ち込まれるのがいやで、電話は引かなかったそうなので、その伝統を受け継いでいるのだろう。

Puerto Gallera. A Harbor for the Galleon


プエルト・ガレーラ(Puerto Galera) ガレー船の船泊まり

マニラから1時間半、シカット・トランスファー特急便は、バタンガス港に着く。そこからバンカ・ボートで出航し、さらに1時間半、舟はルソン島の南にあるミンドロ島の北端、サバン・ビーチ(Sabang Beach)に到着する。あたり一帯はプエルト・ガレーラと総称され、古くより知られたダイビングのメッカで、たくさんのゲストハウス、レストラン、バー、その他のお店などが付近に密集している。ただし、海岸は遠浅の砂浜で、フェリーなどが、接岸できるような施設は無い。ここでマニラから高速バスに乗ってきたヨーロッパ人たちは大きな荷物と共に、殆ど下船してしまい、船はガラ空きになった。

我々の乗ったバンカはそこから西へやや引き返し、スモール・ララグーナ・ビーチ、ビッグ・ララグーナ・ビーチ、ココ・ビーチとにぎやかな海岸を左手に眺めながら、やがて島々が入り組んだ入り江の船着場―プエルト・ガレーラのムーリェ埠頭に到着した。

その昔、スペインのガレー船は副王の居るメキシコとフィリピン間の貿易を専業としていたらしいが、台風を避けて停泊した場所だそうだ。港と呼ぶよりは船着場と呼んだ方がぴったりするような所である。日本で言うと50年前の愛媛県の宇和島港がよく似ている。

ここが一応このあたりの中心らしく、プエルト・ガレーラ・プロパーなどと呼ばれているようだ。バランガイ・ポブラシオンという地名もあるが、それはここより少し南へ下がったあたりを指すようだ。船着場には、切符売りのお姉さんかおばさんが一人入るのがやっとのような小屋が1-2軒と、その向かいに道路を挟んで、鄙びた食堂が4-5軒並んでおり、角を曲がると、傷んではいるが舗装された自動車道路が走っている。それに沿ってサリサリストアやそれより少し大きい雑貨屋、お土産屋などが10軒ほどもあろうか。波止場通り繁華街である。

Port Batangas


Only this one, you can call it as a modern ferryboat.

バタンガス港

  この港は広い場所に幾つかのビルを配置した近代的港湾である。日本の肝煎り(ODA?) で建設中との事であるが、、貨物陸揚げ用のクレーンなどは未だ殆ど見当たらない。目下のところ船客専用のようである。しかし、付近には何百台という乗用車が並んで置いてある場所がある。日本から運んで来たのか、あるいは他のアセアン諸国からの輸入なのか分からないが、すべて日本車だそうで、ここがルソン島の自動車積み下ろし専用港だそうである。

At Port Batangas, take this Banka boat to go to Puerto Galera

    港に停泊している船の殆どは、両舷にいわゆるアウトリガーとか言うものを装備した、バンカーボート呼ばれる代物で、いわゆるフェリーとわれわれが通常呼んでいるような船は一艘のみしか見られなかった。高いお金を取る直行便は近代的高速船を使用するものと思いきや、やはりこのバンカーボートで、走りながらが水面を叩くので、その度に水しぶきが上がって勇ましい。